女神のJoyful life

自由奔放に。愛と歓びに満ちた人生を。

◆質問より 「彼と再会できるのかどうか」

彼と再会できるのかどうかについてご質問をいただきました。

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相手に対する想いが薄くなると、再会するという願いの達成も叶わないのではないかと…少しだけ思いました。 大丈夫でしょうか?

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思いが薄くなる、というのは、おそらく、過去のように彼に執着しなくなった、彼を手放せた状態になったので、彼に対して想いが前ほど大きくない(薄くなっている)ということかと思いますが、この時に、考えると良いことを書きます。




まず、ご自分と向き合ったり、身近にいる人の愛に気づいたり、ご自分が成長して彼に対しての見方が変わりますと、彼に対する愛の感じ方、彼に対する想いも変わることが多いです。これは、普通に起きてきます。




想いが薄くなった、かつてほど情熱的な愛を感じなくなったと思ったら、考えていただきたいんです。本当の本当に、彼に再会したくてたまらないほど会いたいものでしょうか?また、なぜ、彼に会いたいと思われますか?




なぜ、このように書くかと言いますと、「運命の相手はいつか再会する」と強く思われることによって、実は、彼に対して想いが小さくなっていたり薄くなっていたりするのに、逆に「再会しなければ」「会いたいと強く思わなければ」というような想いが起きている方も少なくないからです。




本当は、深く愛してやまないからこそ相手が運命の相手だと思ったのに、今は、逆に、相手が運命の相手と思うことで、相手に対する気持ちが小さくなったり薄くなったりしているのに、「強く愛さなければ」「会いたいと願わなければ」と思ってしまう、ということです。




想いが薄くなっている、ということであれば、それほど再会しなくても本当は大丈夫と思われているのではないでしょうか?なぜ、想いが薄くなっているのに再会したいと思われるのでしょう? そこにまずは向き合ってみてください。





「再会するという願いの達成も叶わないのではないか」

 


これにつきましては、再会、というのは、自分の想いが強ければ再会できて自分の想いが薄ければ再会できない、ということではありませんよね。人と人とが再会するとき、それは、「自分が相手と会いたいと思ったとき」「相手も自分と会いたいと思ったとき」そのタイミングが一致した時に、再会、ということが起きてきます。




自分の気持ちが強ければ再会できる、のではなくて、相手に会えるかどうかは、宇宙の采配、なんです。私たちがコントロールできることではないんですね。私たちは、相手の気持ちを変えたり、相手の気持ちをコントロールはできないからです。(例えば、芸能人の方にどんなに会いたいと思っても会えない場合がありますし、あまり会いたいと思わない方でも、しょっちゅう会う方もいますよね)

 


 
ご自分の成長や学びとは、「相手との再会があってから最高に幸せになれる」のではなくって、「彼に会っていてもいなくても、最高に幸せに生きていられる状態になる」ことが目指すところです。

 



これは、会いたいと願うことがいけない、ダメだ、ということではありません。成長が進みますと、彼に会えていても会えていなくても、変わらず私はいつも幸せでいられる、という状態になる、ということです。

 

 

ご質問に戻りますが、相手との再会は自分ではコントロールできません。ご質問を読む限りですと、想いが薄いのに会いたいと思われる、ということですから、彼と会ってどうしたいのか、なぜ想いが薄いのに会いたいのか、会ってどうしたいのか、そこをじっくりと考えられるとよろしいかと思います。(通常、想いが薄いとあまり会いたいと思わず、想いが強い時に会いたいと思うものだからです)

 

 

 

どうしても彼と会いたい、という場合は、それは宇宙の采配ですから、宇宙にすべてお任せする、委ねる、というお気持ちが大切です。ご質問ありがとうございました。

 

 

 

 

◆質問より 「どうすれば彼から愛されて当然と思えるようになりますか」

ご質問におこたえいたします。

 

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質問があります 私はどうしても、彼から無条件で愛されると思えないのです どうやったら「私は彼から愛されて当然」と思えるようになりますか

 

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このような時に考えることは2つあります。

 

 

 

まず、私は彼から愛されて当然、と思えないのに、なぜ、そう思いたいのか、ということを考えてみる、ということです。

 

 

 

もし、思えないのであれば、彼から愛されて当然、と思わなくても大丈夫なんです。今はそれが自然なのですから。抵抗しようとしたり、変えたりしようとするから、辛くなったり苦しくなったりします。まずは、私は彼から愛されて当然と思えないな、とご自身の気持ちに気づいてあげて、今はそれで大丈夫だよ、といってあげてください。

 

 

 

そして、なぜ、彼から愛されて当然と思えないのにそう思いたいのか、そこを見つめてみてください。それが、ご自分と向き合う、ということです。それは、彼に愛されることを実感することで何かを得たいからでしょうか。 彼に満たしてもらいたいからでしょうか。そこに潜むご自分の気持ちと対峙するということが、ご自分と向き合うということです。

 

 

 

2つ目です。彼から愛されて当然と思えないのは、ご自分でご自分のことを愛してない時に起きます。ご自身を否定したり嫌っていたり受け入れていないところがあるからです。そこを、嘘偽りなく見つめてみてください。ご自分で否定している時に、彼から愛されて当然、とは思えないのです。

 

 

 

まずは、私は当然のようにこの私自身から愛されている、と思えるようになるまで、ご自分を愛し続けてくださいね。ご質問ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛とは「激情」ではなく「穏やかさ」の中にある1

そもそも、愛、とはどのようなものでしょうか。

 

 

愛とは、一時的に高揚する感情、相手を欲する気持ち、自分の希望を満たしてもらうこと、というように思われているところがあると感じられます。そして、それが、一般的に、愛と受けとめられていますよね。

 

 

 

しかし、一時的に高揚する感情だとすれば、それは、ある期間が過ぎれば、変化するものです。例えば、結婚式で愛を誓い、新婚旅行に行ってお互いを知れば知るほど違いが浮き彫りになり、成田空港で離婚する、というようなハネムーン離婚という言葉もあります。また、永遠の愛を誓ったにも関わらず、数年後に離婚したり、数年後に相手に対する気持ちが冷める、というのは、よく聞く話です。

 

 

 

おそらく、読んでくださっている皆さんが、もし、ご主人やパートナーとうまくいってないとします。でも、出会った当初や結婚を決めた時には、今とは違って、ドキドキしたり、相手をとても愛おしく思う気持ちもあったのではないでしょうか。

 

 

 

愛とは不変であり、永遠であるとしたら、その時に誓った愛は、本当に愛だったと呼べるものでしたでしょうか。

 

 

 

それらは、愛ではなく、愛のように見える執着、依存、自分の欠けたところを満たすために欲した相手、だったのかもしれません。

 

 

愛とは不変であり永遠であるとすれば、その、一時的に高揚する感情は、もしかしたら愛とは呼べないものなのかもしれません。もちろん、愛の一部とはなりえますが、それこそが愛、と思ってしまうところに、別れや離婚、お互いに理解しあえない、分かり合えない、ということが起きてしまうように感じられます。

 

 

 

つまり、そもそも、愛についての認識が、みな、バラバラなので、そこで傷つけたり傷ついたり、嫌なことをされたり、ということが起きてしまいます。

 

 

 

 

このブログでは、その、愛、というものがなんなのか、迫っていきたいと思います。

 

 

 

 

嫉妬した時に考えること

嫉妬で苦しんだ時にどのようにご自分と向き合えば良いのか。それについて説明します。

 

 

嫉妬とは、辞書で調べてみますとこちらのように書かれていました。

 

 

・他人が自分より恵まれていたり、すぐれていることに対して、うらやみねたむこと。

・自分の愛する者の愛情が他に向くのを恨み憎むこと。
 
 

まず、このように、他の人が羨ましく思ったり、自分が愛する相手がほかの人に愛が向いていることに対して、恨むような気持ちが湧いてきた時。

 

 

 

まずは、「嫉妬はいけない」「恨んだり憎んではダメだ」と思わないでください。

これは、いつもいつも心に留めておいてください。

 

 

 

感じてはいけない感情など、ひとつもないのです。

 

 

 

ポジティブな感情だけが好ましくて、ネガティブな感情はダメな存在、ではないんです。

 

 

 

あなたにとって、前向きでも後ろ向きでも、その感情そのものは、否定できないみなさんの想いなのですから、まずは、起きてくるままに、そのままにちゃんと感じてあげてください。

 

 

 

多くの方が、ここで、その感情をないことにしてしまおうとします。感じることが辛くて、蓋をしたり我慢したり、「私は無償の愛で愛しているから嫉妬なんてしない」、と考えてしまいがちです。

 

 

 

 

そこで、ご自分の感情をまずは偽らないでください。憎む、恨む、嫉妬する。それらを、感じきってみるのです。

 

 

 

その時に、とっても嫌な、苦しくてもやもやするような感じが湧いてくると思います。それらを感じている自分を、丁寧に感じてあげるんです。ここで、ぜひ、そのモヤモヤ、嫌な感情を、ノートに書いてみてください。そうやって、文字にして視覚化してみますとね、心のネガティブなエネルギーを外に出すことになりますから、そこで、少しすっきりしたり、客観的になれたりします。

 

 

 

 

そして、その感情を感じましたら、「自分と向き合う」という作業をします。ここで大切なのが、

 

 

 

「なぜ、私は嫉妬するのか」という、その理由を明らかにすることなんです。

 

 

 

 

嫉妬とは、先ほど説明しましたように、相手の愛が自分には向いていないから辛い、ということですよね。

 

 

 

 

嫉妬を感じている方は、「自分の愛する相手が、他の異性を愛したら、誰もが嫉妬する」と考えていると思います。

 

 

 

 

しかし、そうではありません。相手の愛が、自分の方に向かずに、ほかの異性に向いていたとしても、嫉妬を感じない人もいるんですね。

 

 

そういう人がいるということは、嫉妬という感情は、「自分の愛する相手が他の異性を愛した」ということとセットで必ず起きる、というわけではないんです。

 

 

ということは、つまり、嫉妬を感じる人と、嫉妬を感じない人がいるということは、たとえ、「自分の愛する相手が他の異性を愛した」という現実が起きたとしても、嫉妬を感じない自分になれる、ということなんです。

 

 

では、まったく同じ状況でも、なぜ、嫉妬する人と嫉妬しない人がいるのか、です。

 

 

その違いは、「相手がほかの異性を愛した」時に、それを、どう受け止めるか、それによって、違いが起きるのです。

 

 

そこで嫉妬を感じる人は、「相手がほかの異性を愛した」時に、「自分は否定された」「自分は相手の異性よりも劣っている」「相手が自分よりも別の女性を愛したということは、私には価値がないのだ」と、そのような感情が湧いてくるからこそ、辛くなり、相手を恨んだり、憎く思ったりします。

 

 

 

しかし、同じ「相手がほかの異性を愛した」時に、「相手は別の女性を選んだだけで私が否定されたわけではない」「私が愛されないことは別の異性よりも劣っているということではない」「相手が誰を選ぼうが私には価値がある」と思えたら、辛くならないのです。

 

 

 

つまり、嫉妬を感じる、ということは、「相手が他の人を愛した」という行動そのものに苦しみがあるわけではなく、あくまで、その行動をきっかけにして、「私には価値がない」「私は劣っている」「私はダメな存在だ」と自分で思うことの方に、辛さがある、ということなんです。

 

 

 

嫉妬を感じる、ということは、そもそも、彼がほかの異性を選ぶ、ということが起きる前から、自分が、「自分には価値がない」と思っている、ということなんです。

 

 

 

ですから、嫉妬の感情が起きて、辛い気持ちになったら、考えていただきたいんです。

 

 

相手や、その相手が選んだ異性のことではなく。あなた自身が、「なぜ、私は私を劣っていると思っているのだろう」「なぜ、私は私を自分で否定しているのだろう」「なぜ、私は自分には価値がないと思っているんだろう」と考えてみるんです。

 

 

そこには、その原因が存在しています。例えば、昔、恋人にこっぴどくふられたことがある、とか、昔両親に否定されたことがある、とか、お母さんに劣っていると思わされたことがある、等です。その、ご自分のもともと心の内側にある傷を、探ってみるんですね。

 

 

それに気づくために、嫉妬、という現実が、今の自分に起きています。

 

 

そう考えますとね、「嫉妬」というのは、素晴らしいギフトなんです。

 

 

嫉妬とは、「あなたは、自分で自分を否定しているところがあるよ」「あなたは、自分で自分を責めてしまっているよ」ということに気づかせるための、宇宙からのメッセージです。

 

 

そもそも、その出来事が起きる前から、自分で自分を否定しているのはなぜなのか、よく考えてみてください。

 

 

 

コメント欄にご質問がありました愛に関する著書について。

 

 

ドイツの社会心理学精神分析、哲学の研究者であるエーリッヒ・フロムの「愛するということ」は世界的ベストセラーです。「愛する」ことについて、とても細かな説明が書かれていますからぜひお読みくださいね。

枠の外の贈り物

愛を判断することについて。

 

 

自分の思考の中だけでは見えていないものがあります。それが、思考の枠の外にあるもの、思考の枠の外にある相手の気持ちです。

 

 

私は愛とは〇〇だと思っている。私は、愛するとは〇〇すべきことと思っている。

 

 

 

 

そのような、ご自分なりの思考で考えていますとね、その、〇〇以外の愛が、愛として受け取れなくなってしまいます。

 

 

 

 

例えば、連絡を頻繁にすることこそが愛だと思っているとします。

 

 

 

 

その思考の場合、沈黙の愛、黙っている愛、言いたいことがあるけれども今は相手のために伝えられない愛、という相手からの愛が、愛に見えなくなってしまいます。

 

 

 

 

 

例えば、一緒にデートしたり、一緒にご飯を食べることが良い関係性だと思っているとします。

 

 

 

 

 

でもね、もし、それだけではなくて、離れているからこそ自分が自分軸となるためにがんばる時間ができていることや、一人になったからこそ自分を振り返ることができている、そういうことが良い関係性と思えていたら?

 

 

 

 

今、離れていることや頻繁に連絡が取れないことは、決して悪い関係性とは判断できません。

 

 

 

 

 

 

皆さんが見えていないだけで、その、枠の外に、相手なりの方法で、その相手だからこその愛がたくさん落ちていたとしたら。

 

 

 

 

 

 

もしかしたら、嫌だと思っていたあの言葉は、皆さんのことを思っての、愛の言葉だったかもしれません。

 

 

 

 

 

皆さんが、相手に気付いていないところで彼や彼女のことを考えたり、心配したり、愛おしく思ったりしているのと全く同じように。相手も、皆さんの気付いていないところで、皆さんのことを考え、心配し、愛おしく感じていることもありうることなんです。

 

 

 

 

 

 

どうぞ、相手の気持ちを決めつけずに、相手からの感情を自分の思考だけで判断せずに、自分の枠の外にある愛の贈り物を受け取れるような、そんな柔らかな考え方、柔らかな心をご自分の中に育ててくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

愛とは無限なのです。〇〇だけが愛、とは決め付けることができないのが、愛です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらゆる感情をゆるすこと

真実の愛、無償の愛、というのは、頭で考えて、無理やりそうする、ということではありません。




無償で愛せないのに無理に愛そうとしたり、愛して欲しいと願っているのに、愛して欲しいと思っていないフリをする、というように、強引に自分の考えを変えることではないのですね。





真実の愛や無償に愛は、自然に沸き起こってくるものです。いつの間にか、自分に向き合う中で、小さな変化の積み重ねで、そんな気持ちになれている、というイメージです。






ですから、真実の愛という大きな宇宙愛を目標にしながらも、まずは今できることから、小さな愛の実践を一歩ずつ行なっていく、それが大切です。





その、できることを書いていきたいと思います。





まず、今皆さんができることは、「自分の感情に嘘をつかない」「自分の感情をそのまま感じてみる」ということです。





例えば、彼に愛されたいと思ったら、それをそのまま感じてあげる。彼に〇〇して欲しい、もっと〇〇して、もしくは〇〇しないでよ、〇〇はやめてよ、というようなお気持ちも、そのまま感じてあげます。





時に、私たちは、無償の愛を願うばかりに、そのような彼に対して求める気持ちや彼に対する正直な気持ちを抑圧してしまいがちではないかと思います。






そうではなくて、まずは、本当の気持ちをありのままに、全部、とにかく感じることをゆるしてあげるのです。それを、相手に伝えることは必要ではありません。また、頭の中だけで考えたり心の中で感じていますとね、モヤモヤしたり、上がったり下がったりしてしまいますから、文字にして視覚化することが大切です。





その、自分の感情を、善悪つけずに、ジャッジせずに、どんな感情も感じていいのですよ、と、自分に言ってあげてください。





自分の、ありとあらゆる感情を、そのままゆるし、愛してあげるのです。






そうしますとね、心の中に蓋をしていた自分の声や、自分の中にある悲しみや苦しみが、外に表れるようになります。様々な感情が、それは受け止めてもらえるんだと思えて、ありのままの姿として表出してくるのです。






まずは、自分のそんな声を、自分がちゃんと聞いてあげることです。そうやって、自分と、心の奥底にいる自分とが、手と手を繋ぐこと。






そして、その声を聞いたら、まずは皆さん自身が、それらの感情に対して





そうだよね

わかってるよ

その感情のまま、そこにいていいよ

ちゃんとあなたのこと知っているよ




と伝えてあげてください。





ご自分の最も身近にいるよき理解者に、皆さん自身がなってあげるんです。






まずは、すべての感情をゆるしてあげること。そこからがスタートです。



愛するということ

愛という言葉は、抽象的な言葉です。抽象的な言葉というのは、具体的でないがゆえに、いかようにも解釈できます。

 

 

 

例えば、相手を束縛すること、相手に求めること、相手に期待すること、相手に変わることを求めること、相手に自分を愛して、と願うこと。これらも、「愛」であると解釈されているところがあります。

 

 

 

これらが愛である、と解釈しますとね、「相手が変わるべきだ」「相手の〇〇を直して欲しい」「相手が私を理解してくれれば私たちはうまくいく」というような考えにつながります。

 

 

 

しかし、そもそも、愛とはなんなのか。

 

 

 

それは、具体的ではない言葉であり、抽象的な言葉なので、個人個人、その解釈が異なりますよね。

 

 

 

ですから、ここでは、偉人の言葉を借りたいと思います。

 

 

 

ブッダは「真実の愛」について、こう述べました。

 

 

 

1.見返りを期待せず、与え続ける

2.まず、あなたが笑顔であること

3.夢中になることを見つけ、誇りを持つ

4.他者はもちろん、あなた自身に優しく

 

 

 

 

この、ブッダが述べた真実の愛に必要な4つの要素は、上記した「相手に期待する」「相手に求める」「相手に変化して欲しい」「相手に理解して欲しい」という態度とは異なるものです。

 

 

 

そして、この4つのことは、無理矢理にそう思い込もうとしたり、それが難しいのにそうなる努力をする、というものではない私は考えています。

 

 

 

では、どうすればこのことが自分に可能なのかと言いますと、それは、「自分が自分のことを100%愛せる」ようになり、「自分軸の人生を確立する」ことができたときです。

 

 

 

見返りを期待しない、ことに努力するのではなくて、自分を愛し、自分軸を確立する道のりの中で、自然に、相手に見返りを期待しない自分になっている、のです。

 

 

ですから、それは、誰にも可能な道だと私は考えております。

 

 

 

この、真実の愛を実現できる自分になるために。このブログを書いていきたいと思っております。

 

 

 

こちらでも読者登録やコメントをありがとうございます。これから、ご一緒に自分軸を確立し、愛そのものとして、笑顔に溢れる心穏やかな毎日を送ってまいりましょう!